「世間的」責任企業
欧米から輸入された『企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)』という概念が今話題になっている。キリスト教の影響下で現世の秩序や法に対して宗教的な観点からの関心が高く、企業に対しても倫理的な価値観が重視される欧米では、従来から「倫理的投資」と呼ばれる行動があり、宗教団体や学校などが投資を行う場合に「倫理的に問題があると判断される業種や企業を投資対象としない」とするような例があった。
わが国の場合は、厭離穢土といった思想の影響から、現実逃避の死生観も多く、必ずしも現世の法的倫理観と結びつくことが少なかった。
また近世になるまで閉鎖的な「世間」という社会のみが存在し、その「世間」は所与のものであるからこれに逆らうことはあり得ず、その「世間」に暮らす者はその掟に従うことが生きていく術であった。しかし「日本農学全集」の中にある『百姓伝記』には五常(仁義礼智信)が語られており、「人の一生はわずか50年ではあるが、その間に悪名をはせた者は家屋敷や家督ばかりでなく、子孫までも失う。・・・飲・食・色・欲の中にも仁義礼智信を守り、お上のご指示に少しでも反することのないように身を慎しむことが五常を守ることである。」とされた。本質的な人間関係のあり方が語られた書であるが、この中ではお上との関係が絶対視されている。
日本企業においては、社長が「お上」であり、社員はそこに存在する「世間」に従わなければ「村八分」になってしまうと考える。したがってお上から指示されたことを忠実に守り、かつ会社を守ることが是とされる風土が根付いていた。
西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載問題(コクドが実質的に保有する株数はかねてより上場廃止基準(80%超)に抵触していたが、これを偽って過少記載を繰り返してきていた。これが利益供与事件の余波で株式担当者の交代で発覚するや取引先の70社と二個人に650億円で売却したという事件)をはじめとする西武鉄道グループの不祥事は、こうした体質を象徴している事件だ。「企業防衛」という美名が実は「事実隠蔽」という悪であるとの倫理観は日本の多くの企業人には希薄であり、繰り返し事件が起きる。
こうした中で企業が「内部通報制度」を整備せざるを得ない環境は、不祥事がいきなり外部リークされ企業のリスク管理が不能となる事態を回避する窮余の一策といえる。
しかしこれと同時に「お上」信仰の日本人にとっては、企業トップの倫理観を担保するための仕組みが必要かもしれない。株主代表訴訟や監査機能の充実もその一つだが、何よりも取締役会そのものの改革が必要だ。社長を首にできる取締役会がない限り根本的な解決にはならない。
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コメント
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投稿: McgeeArline32 | 日曜日, 1月 08, 2012 21:28